三国志用語超極小事典
 頭文字から検索
 
 
| | | |
| | | |
| | | |
| | | |
| | | |
| | | |
| | | |
| | | |
| | | |
| | | |
A| B| C| D| E
F| G| H| I| J
K| L| M| N| O
P| Q| R| S| T
U| V| W| X| Y
Z| その他
 
 分野から検索
 
 
人名
官職
地名
所属
その他
 
 ▲ Back to Top
 ▲ Back to Business
 
 
韋誕仲将(いたんちゅうしょう)
 
姓:韋
名:誕
字:仲将
英語表記:Wei Dan Zhongjiang
父:韋端
兄弟:韋康
生年:179
死亡年:251
所属:魏
生誕地:雍州京兆郡杜陵
分野:人名
 
建安年間に上計吏となり、特に郎中に任ぜられた。太和年間に武都太守となったが、書に巧みであったため、侍中として都に留められた。その後、中書監となり光禄大夫となった。
彼は書に優れており、草書をよくしたため「草聖」と呼ばれたが、一方で楷書もよくした。
魏王朝の宝器の銘題は、全て韋誕が書いたと伝えられる。また宮殿の扁額もしばしば書いている。『世説新語』には宮殿を造営した際、梯子に登って扁額を書かされた話が紹介されているが、同注に引く『四体書勢』には、現代の高層ビルの窓拭きゴンドラの如く、縄を付けた籠に載せられ、地上約60mの高さまで引き上げられて、扁額を書かされたという信じ難い話が紹介されている。
韋誕は恐怖の所為で、髪も髭も白くなってしまい、子孫には決して書道を学ばないように、書き残したとされる。文章にも巧みであり、属辞の技法をよくしたという。(wikipediaを元に作成)
 
関連用語
なし
 
関連ワード
なし

Copyright (C) ダ-シ-, 2001-2011, All rights reserved.